恋、のち、友だち

好きな人への恋心がみのらなかったなら、
せめて友だちとして、笑いあいたいと願うのは、小さな乙女心?

幼いころは、そうは思いつつも、せつなすぎてたまらなくて、
「友だちとしてなんて、ありえない!」と、わんわん泣いたりしたけれど、
人生経験がありあまるくらい豊富になってくると、
精神年齢15歳の私ですら、そのあたり、上手にいなせるようになるものですよ。

ノンフィクションの取材は、
「その人のことを、もっと知りたい」と願いながら進めるため、
それは「恋」にとてもよく似ています。
実際の恋愛感情と異なることは、重々承知しているものの、
それでも、取材終了とともに、ふっと現実の世界からも、私の過ごす時間からもいなくなると、
まるで恋人がいなくなったようなさみしさに襲われることたびたび。

ああ、友だちになれたらなあ。

自分が「女」だったり、年齢に「差」があったり、
生活する地域や、時間帯がちがいすぎていたり、
障壁はいくつもあるけれど、
でも、きっとそういうのは、自分がふられて傷つきたくない言い訳にしかならないんだろうな。
とはいっても、取材終了後もこっちからアクションをおこすのは、気がひけるんだよなあ。

と、もごもごしている私に、
取材終了後も、連絡をくれるみんなに、あらためて「ありがとう」です。
ねえさんは、みんなが大好きです。

本日は、取材で果てしなくお世話になった方々にお声がけいただいての焼き肉!
しあわせですー。ありがとうございます!