安全はつくるもの

京都で起きた花火大会中の事故では、
これを書いている時点で、3人の方がお亡くなりになり、
いまなお多くの負傷者への懸命の治療が続いている。
亡くなられた方々のご冥福と、ケガをされた方々の早い回復と、
多くの人のココロについた傷が少しでも癒えることを祈るばかりである。

報道を読む限りでは、今回の事故原因は、
ガソリン携行缶の不適切使用にあるらしい。
高温で気化したガソリンが、一気に噴出する様は、
文字で読むだけでも戦慄する。
圧力を下げてから、注ぎ口を開けるようにすべきところ、
なぜ、おろそかにしたのか。

理由1
いつも大丈夫だから。
よくあることである。いつも大丈夫。だから今度も大丈夫。
クルマの世界でもよく言う人がいる。
私はここで一時停止はしないが、事故は起こしたことがない。
だから、これからも大丈夫。

しかしながら、神さまは、そんなに優しくはない。
これまでは、幸運だっただけだ。
事故の確率は平等であり、そして事故は必ず起きる。

理由2
うっかり忘れた。
よくあることである。私もよくある。
出かける前に洗濯物をとりこもうと思いながら、
うっかり忘れて出かけ、雨にやられて悔やむのである。

いつもとは違う、環境の変化。
洗濯物の場合、雲の動きを見極めて行動しないからこういうことになる。
今回も、いつもよりも高温状態になった(外的要因はさまざまだが)携行缶に、
より注意して行動しなければならなかったはずだ。

そして今回の事故は、洗濯物がズブ濡れになるようなヤワな話ではない。
危険物を扱っているという自覚をもち、
基本に立ち返り、指差し点検して行動する安全確認は必須なのである。

そして思う。ガソリンほどの危険物の扱いを、
こんなにも安全ボケした日本で、使用者ひとりの行動に任せていいのだろうか、と。
せめてガソリン携行缶は、圧力抜きをしないと、注ぎ口が開けられない構造になっていれば、
今回の事故は防げたかもしれないと。

物理的な構造は、文系バカの私にはよくわからない。
でも、それでも、
せめて一回の屋台営業で使うものなら、
圧力抜きのねじと、注ぎ口のフタに、
長い紙かなにかを一枚はって、まわしにくいようにしておけば、
「おお、先に圧力を抜かなくっちゃ」と気付くんじゃないかと思ったり。
屋台組合とか、花火大会の大会事務局がやれば、
安全性は少しは上がるんじゃないかと思ったり。

これからもまだ、花火大会など、屋台が出る行事が続く。
こどもたちが笑顔で二学期を迎えてくれることを、願うばかりである。