画像の取り違え

「世紀の発見を世に示す論文なのに、
画像を取り違えるなんてあり得ない」

昨日から何度も繰り返されるこのセリフにふれるたびに、
私は2005年の初春を思い出す。

2004年の夏から半年かけて、自己資金100万円近くの取材費をかけ、
世界初となる、イルカの人工尾びれプロジェクトを追った。
まとめた原稿を持ち込んだところ、
講談社が、本にしてくれるという幸運にこぎつけた。

しかし、条件として出版は一ヵ月半後。
テレビなど、他メディアとのライバル関係もあり、
そのタイミングを逃せば、「独自取材」であるにもかかわらず、
二番煎じとみなされるため、一ヵ月半で出せなければ出さない、という判断。

一ヵ月半といえば、超短期間である。
現在の仕事のペースなら4ヶ月かけているところを一ヵ月半なのだ。
しかも、初めてのノンフィクション。
編集担当T氏の叱咤激励のもと、二人三脚で突き進んだ結果、
なにが起きたかというと……。

写真の取り違え。

それも、致命的なミス。
出版後、再撮影をして、差し替えるという、
あり得ない状況になりました。
*古傷ゆえ、どこかは控えさせてくださいー。

今、思えば、なんであんなことになったのかと思う。

「世紀の開発を世に示す本なのに、
画像を取り違えるなんてあり得ない」

そのとおりだ。
今の自分でもそう思うし、それが他者の仕事なら責めに責めるだろう。
でも、あのときの、のしかるようなプレッシャーと、
押しつぶすように迫ってくるタイムリミットのなかで、
目は見えていなかったし、頭は判断力を完全に失っていた。

ミスを指摘されたとき、
頭のなかにかかっていた、黒雲のようなもやが一気に晴れて、
そして血の気がひいた感覚を今も忘れない。

「画像を取り違えるなんて、あり得ない」

いえ、人サマは、そう言いますけどね。
自分の能力を超えたことを求められたとき、
それは「あり得る」んですよ。

IMG_1956

沖縄美ら海水族館で、フジは相変わらず元気です!

そして、今書いている原稿も、
この段階でイラストの指定ミスを犯していることに気付き、
ぜんっぜん進歩してないじゃん、自分!
と、猛省中。ああー。