脳死を受け止めること

医療もののドラマや小説は、かなり脚色されている。
救命救急センターを描くとき、必死感を出すためか、
瀕死の患者に対して、主人公が懸命に胸骨圧迫している姿が出るけれど、
主人公クラスの敏腕医師(たいていその立ち位置)はしません!
だって、次の医療行為をしなくちゃいけないですから。
ある意味、肉体作業になる胸骨圧迫は、
病院内では研修医クラス、ドクターヘリの現場では、救急隊員たちが担っています。

と、このようにドラマなどで真実を知るのはむずかしく、
それは「脳死」についても同じこと。
ドラマや小説だけでは、本当のことはよくわからない。

そんななか、以前、取材させていただいた、
埼玉小児医療センターのトップである植田育也先生(取材当時は静岡こども病院)の
ご講演が、「喪失とともに生きる」(ポラーノ出版)の、
第二章「こどものいのちを看取ること」で文字になった。

飴をのどにつまらせた五歳女児のケースに、
こどものころ、なんども喉につまらせた経験を思い出し、
「死」はなんて身近なところにあったのだろうとぞっとする。
その後、脳死判定されるまでの様子が、医師の立場から克明に再現されていて、
まるで自分の家族につきつけられているような錯覚に陥った。

臓器移植という、まだ、日本人の感覚として受け入れるのに個人差の大きい言葉も登場し、
どきりとさせられる部分もあるけれど、まさに、それが医療の現場なのだと感じさせられる。
けれど、植田先生が患者家族にかける言葉のひとつ一つが、
医療側ではなく、家族側、患者側にたって発せられていて、
患者側のひとりになるであろう私は、勝手に感謝の気持ちに包まれていた。
こういう先生に宣告されるなら、状況を受け入れられるだろうなあと。

人間は致死率100%。
その日は必ずおとずれる。
高齢の家族がいる人はもちろん、とくに小さいお子さんのいる人には、
いちど、読んでいただきたい文章だと思う。

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この本に登場されるお嬢さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。