わたし、がんばったよ。 急性骨髄性白血病をのりこえた女の子のお話。(講談社)2015年11月



イラスト 松本ぷりっつさん

三年前のある日、講談社の担当編集さんがある詩を見せてくれました。
それは、急性骨髄性白血病をのりこえた小学一年生の女の子が描いたもの。
絵といっしょに、彼女の気持ちが書かれていました。

「みんながちょっといやなそうじだって、はやくいっしょにしたいんだよ。」

読んだとたん、この一文に胸を打たれました。
どれほどの思いの先に、この言葉が放たれたのか。

「この詩を、書籍としてカタチにしたい。」
そんな編集さんの思いを聞くまでもなく、私自身も、この言葉は多くの人に伝えなければ
と思いました。

女の子の名前は、佐藤美咲。仮名です。
ずっとこのプランを温めていた編集さんが、
その年、いちばん多い苗字と、いちばん多くつけられた名前を組み合わせて、
ずっとずっと彼女のことをそう呼んでいたものを、そのまま使わせてもらいました。

闘病生活は、美咲ちゃんのお母さんが、
入院中、毎日つけていた闘病日記と写真をもとにさせていただきました。
大きなファイル4冊にも及ぶ膨大な資料を頭にたたきこみ、
そこからは、私自身が、美咲ちゃんになったつもりで、
ぐうっと四歳~五歳までタイムトリップをしていきました。
四歳の女の子は、どう感じていたんだろう。
五歳だったら、どう思うんだろう。
試行錯誤の連続になるかと思ったものの、幸い、私自身、
幼少期、両親に愛された記憶がたくさん残っており、
そのときの感情がたちまち蘇ってきて、するすると書き進めることができました。

ただ、それは私の記憶であり、美咲ちゃんの記憶ではありません。
原稿が描きあがったとき、「これはちがう」と、
ご家族に言われるのではないかという不安でいっぱいでしたが、
でも、原稿を読んだ美咲ちゃんのお母さんからの手紙には、

「これは、美咲です。あのころの美咲が本のなかにいました。」

そう綴られていて、涙が出るほどうれしかったです。
本には、美咲ちゃんが描いた詩も、そのまま掲載しています。

退院は、ゴールではない。
こどもと、その家族にとっては、そこからが社会生活のスタートです。
そして、こどもは、長い長い人生を生きていかなくてはなりません。
どうか、病気や怪我を乗り越えて、社会生活を始めるこどもたちが、
生き生きと過ごせるように、社会が受け入れてくれますように。