こどもはするどい。

土曜日の予定が、日曜になり、さらに延期でやっと月曜、開催されたのが、
某小学校「春季大運動会」。

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最近は、熱中症対策で運動会が秋から春になるところが多いそうな。
とってつけたような「春」に、ちょっとほのぼの感。でも梅雨時は大変。

私の女子最年少友人が出るため、
5時起きで駆けつけましたとも!

途中、借り物競争では「お弁当を上手につくるお母さん」というコールがあり、
私、それでなくてもむずむずしていたのに、
そう呼ばれてつい「はーい!」と手を挙げて校庭中央に駆け出してしまいまして。
結果、手をつないでいっしょに走った男子は3位でした。惜しい!

それでも大満足で引き上げようとしたら、
走り終わって整列していた児童たち、私を見上げて、

「お母さん?」
「え? お母さん?」

疑問の声があちこちから……。
ぐっ。
若作りしていても、こどもたちにはバレる。
た、たしかにすでに、君たちの「おばあちゃん」の年齢に近いのか、私?

こどもはするどい。
その目に曇りなし。
嘘はいけません、嘘は。
仕事もまじめに向き合おう=いまさらか。

終了後は、一転しておじさま方に囲まれての会議。
おじさま方は……大人になるって、自由を失うことなのね。
地位を得るって、守るものもありすぎて、息苦しそう。

こどもたち。自由を得られるのは今だけだ。はじけよう!

一次情報

韓国でのフェリー事故。
行方不明の方の早い救出と、亡くなられた方のご冥福と、
怪我をされた方の回復を祈るばかりである。

今回の件では、報道の混乱が異常事態だといえる。
デマやニセの情報の裏をとることもなく、まことしやかに伝えられ、
被害者関係者の感情を逆なですると同時に、
一般人までが、無意味な議論を闘わせた。

混乱の一因は、日本の報道機関が、
「二次情報」に翻弄されたということだ。
報道の基本は、「一次情報」である。
自らがその真相に向き合い、直接かかわった人から情報を得、
それを元に分析し伝えていく。

ところが今回は、韓国メディアや、ブログやSNSなどの話を信じ、
そうした「二次」「三次」情報を伝えているのが目に余る。
結局「うそでした」「デマでした」「虚言癖の人の証言」であり、
それこそ、狼少年状態。
いまや、なにを信じていいのか、まったくわからない。

ネットが発達し、一般の人も世界の報道を直接、目にすることができる時代。
報道機関よりも、一般人の情報発信力の方が早い時代。
ゆえに、早く詳報をと思う気持ちは理解できるけれど、
報道の基本を失った報道機関に、存在価値はない。

そんなんだったら、一般の人のSNSさぐっていれば、いいじゃん。

人のふりみて、我がふり直せ。
ジャーナリスト、ノンフィクションという肩書きを背負う身としては、
改めて、現場・現実・現物にこだわりたいと強く思う。
ひとりの人間が見られるものは、ほんの小さな世界であっても、
それは間違いなく「真実」だから。

いま、私にさまざまなことを見せ、伝えてくれる人たちの、
本気と本音を、大切にしていきたいと思います。

取材ノート

私にとって、取材ノートは命だ。
現場を見つめ、「これは!」と思った心に響く言動を書きとめてきた。
いまでもすべて保管してある。

今夏出版する一冊目は、2冊。二冊目は、3冊。
昨年、出版した「東京消防庁 芝消防署24時」は、6冊。

冊数を覚えているのは、ノートにナンバリングをしてあるから。
そして、本にまとめるときに、
「3冊めに、T隊長のインタビューを記した」とか、
「5冊めに、全隊出場の火災があった」とか、
何度も何度もノートを見るからだ。

「4、5冊」かあ。
発表文献をまとめて一年もたたないのに、その発言。
これには同意できないけれど、
でも、ノートを使いこなせない人は確かに存在するんだよね。
(身近に約一名。編集者なのに、一ヶ月のスケジュール帳に、3つくらいしか予定が書き込まれていない……。
これでどうやって、取材日時や締め切りが守れるのか、ほんとうに不思議ちゃんでした)

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本日は、会議参加のため西へ。
移動4時間、会議90分!

東京に住んでいると、国交省や警察庁の会議にすぐ行けるけれど、
その他エリアから来る方々の苦労が、今回、よっくわかりましたー。

画像の取り違え

「世紀の発見を世に示す論文なのに、
画像を取り違えるなんてあり得ない」

昨日から何度も繰り返されるこのセリフにふれるたびに、
私は2005年の初春を思い出す。

2004年の夏から半年かけて、自己資金100万円近くの取材費をかけ、
世界初となる、イルカの人工尾びれプロジェクトを追った。
まとめた原稿を持ち込んだところ、
講談社が、本にしてくれるという幸運にこぎつけた。

しかし、条件として出版は一ヵ月半後。
テレビなど、他メディアとのライバル関係もあり、
そのタイミングを逃せば、「独自取材」であるにもかかわらず、
二番煎じとみなされるため、一ヵ月半で出せなければ出さない、という判断。

一ヵ月半といえば、超短期間である。
現在の仕事のペースなら4ヶ月かけているところを一ヵ月半なのだ。
しかも、初めてのノンフィクション。
編集担当T氏の叱咤激励のもと、二人三脚で突き進んだ結果、
なにが起きたかというと……。

写真の取り違え。

それも、致命的なミス。
出版後、再撮影をして、差し替えるという、
あり得ない状況になりました。
*古傷ゆえ、どこかは控えさせてくださいー。

今、思えば、なんであんなことになったのかと思う。

「世紀の開発を世に示す本なのに、
画像を取り違えるなんてあり得ない」

そのとおりだ。
今の自分でもそう思うし、それが他者の仕事なら責めに責めるだろう。
でも、あのときの、のしかるようなプレッシャーと、
押しつぶすように迫ってくるタイムリミットのなかで、
目は見えていなかったし、頭は判断力を完全に失っていた。

ミスを指摘されたとき、
頭のなかにかかっていた、黒雲のようなもやが一気に晴れて、
そして血の気がひいた感覚を今も忘れない。

「画像を取り違えるなんて、あり得ない」

いえ、人サマは、そう言いますけどね。
自分の能力を超えたことを求められたとき、
それは「あり得る」んですよ。

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沖縄美ら海水族館で、フジは相変わらず元気です!

そして、今書いている原稿も、
この段階でイラストの指定ミスを犯していることに気付き、
ぜんっぜん進歩してないじゃん、自分!
と、猛省中。ああー。