節電の目的を考える

先の見えない原稿書きに突入した週末。
読売新聞によると、日本睡眠学会が「健康への悪影響が大きく、節電効果が乏しい」と、
サマータイム導入に反対という見解なんだそうな。
早起きが健康への悪影響が大きいのは、個人的な問題もあるのでここでは論じないとして、
節電効果が乏しいというのは、そのとおりだなあと思う。

この夏の節電とはなんぞや。
東京電力のサイトには、はっきり書かれている。
「節電は、電気の使用量が供給量を上回らないようにするためのお願いです」と。
「夏の電力需要のピークは、暑さの厳しい昼間の時間帯」だと。 → こちらをクリック!

だから、ピークタイムの需要に変化をもたらさないサマータイムは無駄だと思う。
そして、もう一度、言おう。
「ピークタイムにまったく関係ない、街灯を消すのは、いかがなものか?」
街灯を消して、交通事故の危険性が増えるは、百歩ゆずってドライバーが気をつけるとして、
女性や子どもたちが、事故や犯罪被害に巻き込まれる危険性はどう考えるのだろう。
防犯グッズがバカ売れって、それだけ親たちは危機感を募らせているわけで。

電気がなんのために使われているのか。
快適や利便性のためなら、我慢しての節電はアリだと思う。
でもそれが「安全」のためだとしたら。
安全を削ってまで、いったいなにをしようというのだ?
安全はなによりも優先する。
それを怠ったから、いまの原発事故があるんじゃん。
もちろん、経済性とのバランスもあるでしょうよ。
だけど、子どもの安全を削って、しかもピークタイムに関係ない電気を消して、
いったいなにをしようというのだ、国交省。
省内にひとりくらい「安全のためには消せません!」という、気概のある人はいないのか?

節電をいうなら、まず、歩行困難者以外が使う、エレベータを止めるべきだ。
だいたい2階下るだけで、いちいち乗るってどういうことよ。
少しくらい自分の足で移動したほうが、節電はもとより、
生活習慣病も改善できて、健康保険的にもいいと思うんですけれど、どうよ?

左折巻き込み

あれは私が、8歳のときのこと。
欲しくて欲しくてしかたがなかった、自転車を買ってもらったときのこと。

「大通りから向こうへは、行ってはいけません!」
そう、母と約束したものの、そんな約束なんて子どもの好奇心の前には、ないも同然。
バレるわけないしー。
そう思って、数日後、初・大通り越えに挑戦!
大通りの信号は青。
横断歩道をわたる歩行者といっしょに、自転車に乗ってわたりはじめたときのこと。

かつん。

右ひじに硬いものが当たり自転車ごとよろけ、左足をついて見上げると、
そこには、緑色のダンプカーが、壁のようにあったのでした。
どうやらあとで聞くと、ダンプの助手席に座っていた人が気づき、
急ブレーキに至った、ということでした。

「大丈夫っ!?」
いきなり大人たちに取り囲まれ、戸惑う私。
いやー、大丈夫って言われてもー。
子どもなので、おまわりさんまで来ちゃう、事態の深刻さが理解できず、
それよりも、母親にバレる……そのほうが、心配だったわけで、
とっととその場から逃げ去りました。
でも、案の定、一部始終を見ていた近所のおばちゃんにちくられ、
親からはこっぴどく怒られましたが。

だけどあの事故は、どうすれば防げたんだろう。
(親の言いつけを守れ、というのは、反抗心いっぱいの私のような子どもには無理です!)
いつも思うのは、交差点ではクルマと人の動線がクロスする怖さ。
スクランブル交差点にして、歩行者とクルマを分けるのが一番なのだけれど。

少なくとも、横断歩道は「歩道」なのだ。
右左折するクルマは、その「歩道」の上を走らせていただいているのだ。
その意識が低すぎるんだと思う。

子どもたちに、「青信号だからといって、油断はするな」。
そう教えることも大切だと思う。
でも、ドライバーは免許制度のある資格保持者。
子どもの動きを制限する前に、ドライバーがやるべきことは多いということを、改めて考えたい。

本日も朝から気持ちよく取材。
おこもりで減りつつある骨密度を、一気にとりもどせそうな、健康的な一日。

交通外傷、レベル300!

小児救命のエキスパートである某先生に、奇跡的にお時間をいただけ、お話を伺えることに。

この季節、新一年生になった子どもたちが、新しいランドセルを背負って、一人歩きを始める。
新しい友達。新しい学校。ピカピカのランドセル。
「おかあさん、あのね、今日ね!」
はやく伝えたくて、子どもたちは、家に向かう。
そんなときにも、事故は起きる。

「交通外傷。レベル300。呼吸あり。」
交通事故で歩行者としてはねられ、意識はなし。けれどかろうじて、呼吸だけはしている状態。
まだ息はある。なんとかこのまま。どうか、呼吸が止まらないうちに。
救急隊は、必死になって病院へと救急車を走らせる。
救命救急センターだって、懸命に準備をして、患者を待ち受ける。
懸命の治療。手の中からこぼれおちていく命。
残された、真新しいランドセル。 
実際、この日もこうした事故は起きている。 →こちらをクリック!

これが、救命救急の現実。
もちろん、歩行者としてだけでなく、車内の乗員として命を落とすケースもある。

「費用対効果の関係で、子どもは症例が少なく、対策がむずかしいという人がいる。」
そう(私の愚痴を)伝えたら、某先生は、完全に否定してくれた。
「なんですか、費用対効果って。子どもの一生の経済効果をちゃんと計算してから言ってほしいですね」
そのとおりだと、私も思う。
いくらの対策費をかけて、何人救えた。そんな単純な計算方式では、ダメだと思う。
少子高齢化の日本で、子どもがどれだけ大切な存在なのか、
費用対効果を言うのなら、ちゃんとした計算式をつくってほしいと思う。

「『こども、こども!』って、イワサダ、うるさいよ!」
そんな風に、そろそろ言われそうだけどさ。
そりゃ、私だって子どもをタテにする、モンスターペアレントは大嫌いだけどさ。
でも、子どもをタテにして、どうする?
子どもを守ることができるのならば、私が子どものタテになりますよ。なりますとも。

某先生、ありがとうございました!

ユッケ問題とチャイルドシート

朝から原稿書き。あまりにも原稿が進まなくて、眉間にシワが寄るばかり(=つまり、不機嫌)。
そんななか、ニュースサイトをのぞいてみたら、
ここ数日の、ユッケ問題が、チャイルドシート問題と、だぶって見えて見えて仕方ないんですけれど。

なぜ、死ななければならなかったの?
そんなに危険なものだったの?
原因はどこにある?
国はなぜ、基準も罰則も策定していない?

車内での子どもの死者数は、年間30人を越えている。
とんでもない数だと思う。
もちろん、全員が全員、ジュニアシートやチャイルドシートで救われたとは思わない。
でも、ハインリッヒの法則からすれば、
一人の子どもが亡くなった影には、その29倍の重傷者がいて、300倍の軽症者がいる。
ヒヤリハットにしてみたら、いったいどれだけの数よ? 
だけど、一部の人に言わせると、
「高齢者の死傷者数に比べると微々たるもので、費用対効果が望めないから、対策はむずかしい」
んだそうだ。

なんだよ、それ。
たしかにね、私も、よく聞かれます。
「対策をしたら、いったいどのくらいの費用効果が望めるのか」、と。

ちょっと待った。費用対効果なのか?
数字でクリアに出ないと、やらなくてもいい話なのか?
経済効率優先で、決めていい話なのか?
日本全国、いつから経済学者になったんだよ!

先日の会議に出ていた検討委員の一人から、メールをいただいた。
ジュニアシートの効果は、データで証明されていないので、
計画案に盛り込むのはむずかしいと。

ちょっと待った。データがない>だからやらない>いつまでたってもデータがとれない。
じゃ、いつから始めるんでしょうね。
チャイルドシートが義務化されたときだって、日本にはデータなんてなかったでしょうに。
あれから10年もたつのに、いまだなんのデータもない方が、恥ずべきことだと思いますが、
どうなんでしょう、自動車工業会、国土交通省、警察庁のみなさん。

妊婦さんのシートベルトについては、
獨協医科大学のH先生たちが、運転の教則を変えるだけのデータを集めてきたというのに、
税金払わず、選挙権なく、数が少ない子どもについては、どうでもいいと思われそうな、この現状。
経済学者にはとうていなれない、数字に弱い私には、
死者数が少ないから、データがないから、手の出しようがありません、って言う、
その考え方が、どうしても理解できません。